2010年度

2010年酒井(広)研究室年次報告

本研究室では、 (1)高強度レーザー電場を用いた分子操作、 (2)高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など)に代表される超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、 (3)アト秒領域の現象の観測とその解明、 (4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御 を中心に活発な研究活動を展開している。

始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。 分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment)と呼び、 頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation)と呼ぶ。 英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので 注意する必要がある。 また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、 一つを制御することを1次元的制御と呼び、 三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。 以下に、研究内容の経緯とともに、今年度の研究成果の概要を述べる。

 

1.レーザー光を用いた分子配向制御技術の展開

本研究室では、 レーザー技術に基づいた分子操作と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。 分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、 従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を 格段に明瞭な形で行うことが出来る。 そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、 物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や 分子軌道の対称性や非対称性の効果を 直接調べることができるなど、 全く新しい実験手法を提供できる。 実際、配列した分子試料の有効性は、 I2分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり (T. Suzuki et al., Phys. Rev. Lett. 92, 133005 (2004))、 配列した分子中からの高次高調波発生実験において、 電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり (T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))するなどの、 本研究室の最近の成果でも実証されている。

分子の配向制御については、 静電場とレーザー電場の併用により、既に 1次元的および3次元的な分子の配向制御が可能であることの原理実証実験に成功した。 これらの実験は、 分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、 いわゆる断熱領域で行われたものである。 この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、 レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。 一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、 高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。 本研究室では、 静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、 分子の回転周期Trotに比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスを ピーク強度付近で急峻に遮断することにより、 断熱領域での配向度と同等の配向度を 高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した (Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008))。 最近、ピーク強度付近で急峻に遮断されるようなパルスを プラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、 レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した (A. Goban et al., Phys. Rev. Lett. 101, 013001 (2008))。

一方、本研究室ではさきに、 分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて 断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた (T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))。 この手法では、 使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、 分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用は パルス幅にわたって平均するとゼロとなる。 したがって、分子の配向に寄与しているのは 分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、 すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。

最近、この手法に基づいて、 2波長レーザー電場を用いてOCS分子を配向制御することにも初めて成功した (K. Oda et al. Phys. Rev. Lett. 104, 213901 (2010))。 さらに、C6H5I分子を用い、本手法の汎用性の実証も行った。 実験の概略はつぎのとおりである。 高強度2波長レーザー電場には、 ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波 (波長l = 1064 nm)と その第2高調波(l = 532 nm)を用いた。 1/2波長板を用いて2波長の偏光方向を平行にして実験に使用した。 2波長間の相対位相は溶融石英板の回転により制御した。 2波長レーザー光を色消しレンズで集光し、真空チェンバーの相互作用領域に導いた。 典型的なピーク強度は、 1064 nm光が1.6 x 1012 W/cm2、 532 nm光が5.0 x 1011W/cm2であった。 分子試料には背圧90 atmのHeをキャリアガスとして 室温での分圧が約1 TorrのC6H5I分子を用い、 パルスバルブを使用して超音速分子線として供給した。 分子が配向している様子は、velocity map型の2次元イオン画像化装置を用いて観測した。 2波長レーザー光のピーク強度付近で 高強度フェムト秒Ti:sapphireレーザーパルス(ピーク強度 ~ 3 x 1014 W/cm2)を 集光照射することにより、 C6H5I分子の2価イオンを生成し、 クーロン爆裂で生成されるフラグメントイオンI+の角度分布を観測した (フラグメントイオンC6H5+は、 2波長レーザー電場の存在下で解離してしまうため、観測できなかった)。 2波長レーザーパルスによって配向した分子のみを検出する為に、 Ti:sapphireレーザー光の光路にテレスコープを挿入してビーム径を制御し、 Ti:sapphireレーザー光の集光径が2波長レーザー光の集光径よりも小さくなるように調整した。 2波長レーザー光の偏光方向は検出器面に平行にし、 Ti:sapphireレーザー光のそれは、 多光子イオン化率の角度依存性の影響を避ける為、検出器面に垂直にした。 2次元検出器はマイクロチャンネルプレートと蛍光板で構成されており、 蛍光板のイメージをCCDカメラで撮影した。

最も大きな配向度が観測されたときの相対位相差を便宜的にf = 0とし、 配向度の指標である<cosq> (qは、2波長レーザー光の偏光方向と分子軸のなす角)を、 相対位相差fの関数として測定すると、 <cosq>が、2pを周期として変調している様子が確認できた。 この観測結果は、 高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて、 C6H5I分子の配向制御が実現していることの明確な証拠と解釈することができる。 先にGeneral valveを用い、背圧9 atmのArをキャリアガスとして使用したとき、 配向を示す明確な証拠は得られなかったが、 今回Even-Lavie valveを用い、背圧90 atmのHeをキャリアガスとして使用することによって 配向を示す明確な証拠を得ることができた。 General valveを用いたときの配列度<cos2q>が 0.65程度であったのに対し、 Even-Lavie valveを用いたときのそれが0.92にまで増大したことは、 Even-Lavie valveの採用により分子の初期回転温度を下げることができたことを意味している。 すなわち、今回の観測結果は、 配向度の増大に初期回転温度の低下が有効であることを示すとともに、 非共鳴2波長レーザー電場を用いる本手法の汎用性を示している。

一方、Even-Lavie valveを用いても、 OCSやC6H5I分子の配向度は、0.01のオーダーであり、 劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。 この困難は、回転量子状態がBoltzmann分布しているthermal ensembleでは、 いわゆるright wayに向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。 本研究室では、 配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクスに関する研究の推進を目指しており、 配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。 そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、 静電場とレーザー電場を併用する手法や 非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法により 高い配向度の実現を目指すことを決断した。

今年度は、 主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser)と 主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deflector) を組み込んだ実験装置の開発を行った。 分子偏向器は直径6 mm、長さ100 mmのロッド(高電圧を印加)と 半円形の溝を掘ったアース電極を数ミリの間隔で配置したものであり、 間隙に均一な電場勾配を形成できる。 分子偏向器を通過する分子は、その回転量子状態に応じて異なるStarkシフトを受ける、 即ち、電場勾配の方向に力を受けるので、 分子線の下流域で電場の勾配方向(本装置では鉛直方向)に量子状態を選別できる。 C6H5I分子を試料とし、Neをキャリアガスとして検証実験を行った。 試料の検出器として用いた四重極質量分析計(Qマス)の前に 直径0.6 mmのアパーチャを装着し、 アパーチャとQマスを上下に移動しながら試料分子の収量を測定したところ、 ロッドに高電圧を印加した場合には、 分子線の分布が鉛直上方に広がること 、即ち、量子状態が選別されることを確認することに成功した。 一方、六極集束器は 六角形の頂点の位置にロッド形状の電極(今回の装置では長さ310 mmの六極電極2段で構成) を配置したものであり、 隣接する電極に互いに逆極性の高電圧を印加することにより、 内部に不均一電場が形成される。 不均一電場中で分子が受けるStarkシフトの結果、 特定の回転量子状態にある分子には中心軸からの変位に比例する弾性力が働き単振動を起こすので、 適切な印加電圧のときに六極集束器を通過後の測定位置に分子を集束させることができる。 CH3I分子を試料とし、 ArあるいはKrをキャリアガスとして検証実験を行った。 軌道シミュレーションとの比較から、 回転量子状態|JKM>=|1 1 1>,|2 1 2>,|2 1 1> に由来するピークが観測された。 即ち、これらの回転量子状態の選別に成功した。 (六極集束器の立上げに当たり、 大阪大学産業科学研究所の笠井俊夫特任教授のご協力を得た。 また、大阪大学科学教育機器リノベーションセンター技術専門職員の西山雅祥氏、 及び、同センターの橋之口道宏助教からは、技術的なアドバイスをいただいた。 ここに記して謝意を表する。) なお、分子偏向器の開発でも六極集束器の開発でも装置のアラインメントは極めて重要である。 開発の当初、He-Neレーザーを用いていたのに対し、 建築現場等で使用されているオートレベルを導入することにより、 直接内部を目視できるので作業効率とアラインメントの精度を大幅に向上させることができた。 今後は、回転量子状態を選別した試料を用い、 静電場とレーザー電場を併用する手法や2波長レーザー電場のみを用いる全光学的な手法により、 分子配向度の向上を実現した上で、 配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究への展開を図る。

 

2.量子状態選別された分子の配向状態を評価するシミュレーションコードの開発

本研究室ではこれまでに、 静電場とレーザー電場を併用して配向を実現する手法、 非共鳴2波長レーザー電場を用いて配向を実現する手法 (T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))、 静電場とピーク強度付近で急峻に遮断されるレーザー電場を用いて レーザー電場のない条件下で配向を実現する手法 (Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008))、 さらには、 ピーク強度付近で急峻に遮断される非共鳴2波長レーザー電場を用いて 完全に電場のない条件下で配向を実現する手法 (M. Muramatsu et al., Phys. Rev. A 79, 011403(R) (2009)) などで配向状態を評価するシミュレーションコードの開発を進めてきた。 これらのシミュレーションにおける分子試料としては、 いわゆるthermal ensembleを考えて来たので、 回転状態|J,M> (Mは角運動量量子数Jの電場方向への射影である)を基底として 展開された波動関数の挙動を調べてきた。

一方、 項目1.の最後でも述べたように、 最近本研究室では回転量子状態を選別された分子試料を用意して 静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法により 高い配向度の実現を目指している。 例えば、六極集束器を用いて試料分子の量子状態を選別すると、 角運動量量子数$J$の分子軸方向への射影成分$K$も含む |J,K,M>で指定される状態が選別される。 したがって、特定の回転量子状態|J,K,M> にある分子試料の配向状態を調べるためには、 回転状態|J,K,M> を基底として展開された波動関数を用いたシミュレーションコードを開発する必要がある。

今年度は特に、 非対称コマ分子の3次元配向制御の様子を調べるためのシミュレーションコードの開発を行った。 3次元配向制御の手法としては、 静電場と楕円偏光したレーザー電場を併用する手法 (断熱領域で実証済み、 H. Tanji, S. Minemoto, and H. Sakai, Phys. Rev. A 72, 063401 (2005))と、 偏光方向を交差させた非共鳴2波長レーザー電場を用いる全光学的な手法が考えられる。 さらに、これらの手法にプラズマシャッター技術を適用して レーザー電場を急峻に遮断することができれば、 レーザー電場の遮断直後に、レーザー電場の存在しない条件下で (全光学的な手法の場合には完全にフィールドフリーな条件下で)、 3次元配向を実現できると期待される。 実際に、開発したシミュレーションコードを用い、 量子状態選別したL-alanine分子、 あるいは初期回転温度Trot = 0.1 KのL-alanine分子の3次元配向過程を調べ、 レーザー電場の存在しない条件下で高い配向度を実現できることを検証した。 上記のアプローチは、 レーザー電場の存在しない条件下で非対称コマ分子の3次元配向を実現する 最も堅実なアプローチであると考えられる。 本研究室では、その実現のために必要な要素技術の大半を既に有するとともに、 上述したように分子の回転量子状態の選別に必要な装置の開発も行った。 近い将来の実現を目指して精力的に研究を進めている。

 

3.搬送波包絡位相を制御したフェムト秒パルスを用いた原子分子中からの高次高調波発生

近年の超短パルスレーザー技術の進歩により、レーザー電場の包絡線のピークに対する振動電場の位相(搬送波包絡位相、Carrier-Envelope Phase: CEP)の固定された数サイクルパルスの発生が可能となり、高次高調波発生を始めとする光の1周期以内で起こる現象のCEP依存性を直接的に調べることも可能になってきた。今年度は、CEPの制御された数サイクルパルスを用いた実験に先立って、CEPの制御されたパルス幅t ~ 25 fsのレーザー光を希ガス原子や配列した分子に集光照射して観測される高次高調波スペクトルを解析することにより高調波発生過程に関する新たな知見を得ることができた。

フェムト秒Ti:sapphireレーザーの出力(パルス幅t ~ 25 fs、波長l ~ 800 nm)を原子や分子のジェット中に集光照射し高次高調波を発生させた。フェムト秒パルスのCEPはf-to-2f干渉計で計測及び制御した。配列した分子を試料とする場合には、パルスを干渉計に入れてポンプ光とプローブ光を用意し、ポンプ光の照射により非断熱的配列を誘起し、分子がalignment状態あるいはanti-alignment状態になるタイミングでプローブ光を照射して高調波を発生させた。発生した高調波のスペクトルは、平面結像型斜入射分光器とCCDカメラを用いて観測した。

試料ジェットの位置に対するレーザー光の集光位置を変化させると高調波のピークスペクトルの広がり方が変化した。ピークスペクトルが大きく広がるような集光条件では、高調波の発生過程で電子がトンネルイオン化してから再結合するまでの経路が長い、いわゆるロングトラジェクトリーの寄与が大きくなるような位相整合条件が実現していると考えられる。このような場合、高調波は一般にチャープしており、フェムトパルスの立ち上がりでより高い周波数成分が発生し、立下りでより低い周波数成分が発生していると考えられる。奇数次高調波のピークの間にはその広がったスペクトル間の干渉パターンが観測され、CEPの変化とともにこの干渉パターンが移動する様子も確認できた。

高調波スペクトルをフーリエ変換して解析した結果、チャープしてスペクトルが広がった隣り合う奇数次高調波の同じ周波数成分が発生する時間差DTが高調波次数とともに減少していることが初めて明らかになった。また、分子を試料とした場合に観測される干渉パターンのvisibilityは、alignmentあるいはanti-alignment状態にあるときの方がランダム状態にあるときよりも高くなることが明らかになった。このことは、アト秒パルス列の発生において、分子配列がその制御パラメータになることを示唆している。さらに、N2分子を用いた場合の方がO2分子を用いた場合よりも干渉パターンが明瞭であることも明らかになった。この性質は、N2分子の最高被占分子軌道(Highest Occupied Molecular Orbital: HOMO)がsgの対称性をもつのに対し、CO2分子のそれがpgの対称性をもつことに起因していると考えられる。

さらに、今後CEPの制御されたサブ7 fsパルスを用いた実験を行うために、真空チェンバー中に設置した凹面鏡でフェムト秒パルスを集光できる高次高調波発生装置の設計と試作も行った。

 

4.配列した分子中から発生する第3高調波の偏光特性

近年、配列した分子中から発生する高次高調波を観測することにより、分子軌道に関する情報を抽出する研究が大変注目されている。Itataniらは、非断熱的に配列させたN2分子を用い、分子の配列方向に対し様々な方向に偏光したプローブ光を照射して発生する高調波のスペクトルを観測し、Fourier slice theoremに基づいて、N2分子の分子軌道を再構成して見せた(J. Itatani et al. Nature (London) 432, 867 (2004))。本研究室では先に、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、特にCO2分子を試料とした場合、再結合過程における電子のド・ブロイ波の量子干渉効果を世界で初めて観測することに成功した(T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))。観測された効果は、詳細な量子力学的計算でも再現されているが、直感的な描像として、CO2分子のHOMOの対称性(pg)を決めている両端のO原子近傍からトンネルイオン化した電子波束が再結合時に破壊的な干渉を起こす2中心干渉効果で説明できる。本成果は、一分子中で光の一周期以内で起こる電子のド・ブロイ波の量子干渉効果という基礎物理学的な興味に加え、この量子干渉効果を用いることにより分子構造(核間距離)を1フェムト秒オーダーの極限的短時間精度で決定できることから当該分野で大変注目された。

最近Morishitaらは、時間依存Schrödinger方程式を数値的に解くことによって得られる正確な再衝突電子波束を用いることにより、高次高調波スペクトルから原子や分子の構造に関する情報を抽出できる可能性を指摘した(T. Morishita et al. Phys. Rev. Lett. 100, 013903 (2008))。すなわち、高調波スペクトルS(w)を運動エネルギーの関数である再衝突電子波束W(E)とイオン化の逆過程である光放射再結合断面積s(w)を用いてS(w) = W(E) s(w)のように表すことができ、高調波スペクトルS(w)を実験で観測し、数値計算から求められた正確な再衝突電子波束W(E)を用いることにより原子や分子の構造を反映した再結合断面積s(w)を評価できると期待される。ここで注意すべきことは、電子波束が再衝突して高調波を発生するときは、レーザー電場強度がほぼゼロになっており、外部電場がないときの再衝突断面積s(w)を評価できることである。このアプローチに従って、本研究室では電気通信大学量子・物質工学科の梅垣俊仁博士、森下亨博士、渡辺信一博士、および、カンザス州立大学物理学科のAnh-Thu Le博士との共同研究において、希ガス原子Ar, Kr, Xe中からの高次高調波スペクトルを観測し、正確な再衝突電子波束W(E)を用いて再結合断面積s(w)を評価するとともに、理論計算から求められたs(w)と比較することによりその妥当性を検証した(S. Minemoto, et al., Phys. Rev. A 78, 061402(R) (2008))。上記の考え方をさらに発展させることにより、原子分子に関するいわゆる「完全実験」の目的である全ての双極子行列要素の振幅と位相を決めることも可能になると期待される。直線分子については、配列した分子から発生する高次高調波の偏光特性を調べることにより、必要な情報を得ることができると考えられる。しかし、高次高調波発生実験は真空中で行う必要があり、偏光特性などの評価は一般に困難である。一方、波長800 nmパルスによる第3高調波(~267 nm)発生は空気中で行うことができ、ポラライザーなどの光学素子が利用できるため、偏光特性の評価も比較的容易である。

そこで今年度は、配列したN2、O2、CO2分子から発生する第3高調波が、分子の配列とともにどの様に変化するかを調べた。波長800 nm、パルス幅100 fsのTi:sapphireレーザー光をマイケルソン干渉計に入れ、ポンプ光とプローブ光に分けた。マイケルソン干渉計のプローブ光の経路にはステップ幅40 nmで動く光学台を設置し、2つの光の間には任意の時間差を付けられるようにした。さらに、プローブ光側には2波長板を入れておき、プローブ光の偏光方向を自由に変えることができるようにした。マイケルソン干渉計内で時間差を付けて再び同一光軸上に戻ったレーザー光をガスセルに入射した。まずポンプ光がガスセル中の分子を配列させ、その後にプローブ光を配列した分子に入射して第3高調波を発生させた。このとき、分子が配列しているときは、高調波発生の配列依存性に加え、配列した分子がもつ複屈折性のために、方向によっては位相整合条件を満たし、強い第3高調波を観測することができた。気体分子は一度配列したのちにほぼランダムな状態となり、第3高調波の強度は減少するが、分子の回転運動のため1/4周期ごとに再び配列するため、この周期で第<3高調波の強度も再び増大する。ポンプ光とプローブ光の間の遅延時間を分子の1回転周期程度まで変えながら、分光器とCCDカメラを用いて発生させた第3高調波のスペクトルを観測した。このとき、観測するスペクトルは、偏光ビームスプリッターで特定の偏光方向成分だけを取り出して観測できるようにした。

原子中からの第3高調波発生の実験は数多く行われているが、この場合は対称性からプローブ光の偏光成分と同じ偏光成分をもつ高調波が発生し、これと直交する偏光成分はほとんどない。今回特にCO2分子の場合には、ある条件下で高調波の偏光成分のうち、プローブ光の偏光成分と直交する方向の偏光成分の方がより強い強度になることが明らかになった。この観測結果はpgの対称性をもつCO2分子のHOMOの性質を反映していると考えられる。

 

5.その他

今年度は修士課程の大学院生2名が加入する一方、修士3名を輩出した。また、4月には特任研究員の山城亮氏が着任し、12月には高エネルギー加速器研究機構・物質構造科学研究所・放射光科学研究施設特任助教の水野智也氏を客員共同研究員として迎えた。ここで報告した研究成果は、研究室のメンバー全員と学部4年生の特別実験で本研究室に配属された大谷育生君、吉野一慶君(夏学期)、及び、江川隆太君、富樫康平君(冬学期)の活躍によるものである。

なお、今年度の研究活動は、特別推進研究「配向制御技術で拓く分子の新しい量子相の物理学」(課題番号21000003、研究代表者:酒井広文)に加え、文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」、及び、「最先端研究基盤事業 コヒーレント光科学研究基盤の整備」からの支援も受けて行われたものである。ここに記して謝意を表する。