2014年度

2014年酒井(広)研究室年次報告

本研究室では、(1) 高強度レーザー電場を用いた分子操作、(2) 高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など) に代表される超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、(3) アト秒領域の現象の観測とその解明、(4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御を中心に活発な研究活動を展開している。

始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment) と呼び、頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation) と呼ぶ。英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので注意する必要がある。また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、一つを制御することを1 次元的制御と呼び、三つとも制御することを3 次元的制御と呼ぶ。以下に、研究内容の経緯とともに、今年度の研究成果の概要を述べる。

 

1.レーザー光を用いた分子配向制御技術の進展

本研究室では、レーザー光を用いた気体分子の配向制御技術の開発と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を格段に明瞭な形で行うことが出来る。そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や分子軌道の対称性や非対称性の効果を直接調べることができるなど、全く新しい実験手法を提供できる。実際、配列した分子試料の有効性は、I2 分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり(T. Suzuki et al., Phys. Rev.Lett. 92, 133005 (2004))、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり(T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))するなどの、本研究室の成果でも実証されている。

分子の配向制御については、静電場とレーザー電場の併用により、先に1 次元的および3 次元的な分子の配向が可能であることの原理実証実験に成功した。これらの実験は、分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、いわゆる断熱領域で行われたものである。この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。本研究室では、静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trot に比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した(Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A77, 031403(R) (2008))。最近、ピーク強度付近で急峻に遮断されるパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した(A. Goban et al., Phys. Rev. Lett.101, 013001 (2008))。

一方、本研究室では先に、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2 波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys.115, 5492 (2001))。この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。したがって、分子の配向に寄与しているのは分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3 乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。

最近、この手法に基づいて、2 波長レーザー電場を用いてOCS 分子を配向制御することにも初めて成功した(K. Oda et al., Phys. Rev. Lett. 104, 213901(2010))。さらに、C6H5I 分子を用い、本手法の汎用性の実証も行った。一方、Even-Lavie valve を用いても、OCS やC6H5I 分子の配向度は、0.01 のオーダーであり、劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。この困難は、回転量子状態がBoltzmann 分布しているthermal ensembleでは、いわゆるright way に向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。本研究室では、配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクス(electronic stereodynamics inmolecules) に関する研究の推進を目指しており、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2 波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指すこととした。そして、主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser) と主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deector) を組み込んだ実験装置の立ち上げを行った。今後は、回転量子状態を選別した試料を用い、静電場とレーザー電場を併用する手法や2 波長レーザー電場のみを用いる全光学的な手法により、分子配向度の向上を実現した上で、配向した分子試料を用いた「分子内電子の立体ダイナミクス研究」の確立を目指す。

既に、初期回転量子状態を選別した非対称コマ分子(C6H5I) を試料とし、静電場とレーザー電場を併用する手法を用いて世界最高水準の高い配向度を達成することに成功した。さらに、プラズマシャッター技術を導入し、初期回転量子状態を選別した分子のレーザー電場のない条件下での1 次元的配向制御に世界で初めて成功した(J. H. Mun et al., Phys. Rev.A 89, 051402(R) (2015))。プラズマシャッターで整形したナノ秒パルスの立ち下がりは、約150 fs であった。分子が配列・配向している様子は、フェムト秒プローブパルスで生成された多価イオンからクーロン爆裂で生成されたフラグメントイオンを2 次元イオン画像化法で観測した。配列度を〈cos2θ2D〉 (θ2Dはレーザー光の偏光方向と分子軸(ここではC-I 軸)のなす角θ の2 次元検出器面への射影) で評価すると、レーザー電場を遮断後に、5-10 ps 程度高い配列度を維持できることが明らかとなった。一方、観測されるフラグメントイオンのうち、検出器面の上側に観測されるものの割合Nup/Ntotal を配向度の指標とした場合には、レーザー電場を遮断後に、20 ps程度高い配向度を維持できることが明らかとなった。配列度〈cos2θ2D〉 のdephasing 時間と総合すると実質的に高い配向度を維持できるのは5-10 ps と考えるのが妥当である。この5-10 ps という時間スケールは、フェムト秒レーザーパルスを用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究への応用を考慮すると十分に長い時間スケールと言える。

さらに、静電場と楕円偏光したレーザー電場の併用により、レーザー電場の遮断直後にレーザー電場の存在しない条件下での3 次元的な配向制御の実現に世界で初めて成功した。実験試料として分子偏向器で初期回転量子状態を選別した3,4-ジブロモチオフェン分子(C4H2Br2S) を用いた。楕円偏光を用いるとBr+ フラグメントの角度分布が楕円偏光面によく沿う様子を観測でき、フラグメントイオンの上下の非対称性と併せて3 次元配向が実現している様子を確認することができた。先の3 次元配向制御の原理実証実験のときに、2 次元イオン画像の観測により3 次元配列の確認をし、TOF スペクトルのforwardイオンとbackward イオンの非対称性の観測により分子が配向していることを確認し、両者の組み合わせにより3 次元配向の証拠としたのに対し、今回は配向度が十分高いため、2 次元イオン画像だけで3 次元配向制御の様子を直接的に観測することができた。この3 次元配向制御の直接的観測自体も世界初の成果である。さらに、プラズマシャッター技術でナノ秒パルスを急峻に遮断すると、1 次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときのdephasing ダイナミクスよりは若干速いものの、~5 ps 程度は十分高い配向度を維持できることを確認した。また、ナノ秒パルス内で、プラズマシャッターを掛けるタイミングを変えると、パルスの遮断後のdephasing ダイナミクスが異なることを確認することができた。特にナノ秒パルスのピーク強度の前後の瞬時強度がほぼ等しいタイミングでパルスを遮断した後のdephasingダイナミクスが異なることは、1 次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときと同様に、3,4-ジブロモチオフェン分子に対しても、ナノ秒パルスの立ち上がり時間8 ns が分子とレーザー電場の純粋に断熱的な相互作用を保証するほど十分に長くはないことを示唆している。

本年度は、上述したナノ秒非共鳴2 波長レーザー電場を用いる全光学的な配向制御手法にプラズマシャッター技術を適用することにより、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御の実験を推進した。2 波長レーザー電場を用いた全光学的な配向制御の実験は、静電場とレーザー電場を併用する手法と比べると、光学系の構成は複雑となる。2 波長レーザー電場としては、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長λ = 1064 nm) とその第2 高調波(λ = 532 nm) を使用する。2 波長レーザーパルスとプローブパルスの空間的重なりをよくするための調整などを地道に行った結果、当初の目標であった配向度〈cos2 θ2D〉 > ~0.1 を達成できる目処をつけることに成功した。一方、ナノ秒Nd:YAG レーザーの基本波とその第2 高調波を利用した分子配向制御においては、基本波のパルス幅よりも第2 高調波のパルス幅の方が短いため、基本波が先に立ち上がり始めることが配向度の効率的な向上を妨げている根本原因であることを明らかにした。これは、基本波パルスのみが先に立ち上がると対称な2 重井戸ポテンシャルが形成され分子配列のみが進行し、遅れて第2 高調波パルスが立ち上がり非対称ポテンシャルの形成が始まっても断熱的に配向を制御するメリットを生かすことができないためである。この困難を克服し、理想的な条件で全光学的な配向制御法を開発するために、干渉計型の光路を導入して2 波長間の立ち上がりのタイミングを合わせることにした。この干渉計型の光路を用いれば、2 波長間の相対位相の測定結果を干渉計の一つのアームの反射ミラーの位置合わせにフィードバックすることにより、プラズマシャッター動作時の相対位相の揺らぎを補償する効果も期待できる。既に干渉計型の光路を導入し、2 波長パルスのアライメントを進めている。直線偏光した2 波長レーザー電場の偏光方向を平行にすれば1 次元的な配向制御が可能であり、偏光方向を交差させることにより3 次元的な配向制御が可能である。さらに、2 波長レーザーパルスにプラズマシャッター技術を適用すれば、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御が可能となる。

 

2.配列した分子中から発生する高次高調波の楕円率依存性

近年、配列した分子中から発生する高次高調波を観測することにより、分子軌道に関する情報を抽出する研究が大変注目されている。Itatani らは、非断熱的に配列させたN2 分子を用い、分子の配列方向に対し様々な方向に偏光したプローブ光を照射して発生する高調波のスペクトルを観測し、Fourier slicetheorem に基づいて、N2 分子の分子軌道を再構成して見せた(J. Itatani et al., Nature (London) 432,867 (2004))。本研究室では先に、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、特にCO2 分子を試料とした場合、再結合過程における電子のド・ブロイ波の量子干渉効果を世界で初めて観測することに成功した(T. Kanai et al., Nature (London) 435,470 (2005))。観測された効果は、詳細な量子力学的計算でも再現されているが、直感的な描像として、CO2 分子のHOMOの対称性(πg) を決めている両端のO 原子近傍からトンネルイオン化した電子波束が再結合時に破壊的な干渉を起こす2 中心干渉効果で説明できる。本成果は、一分子中で光の一周期以内で起こる電子のド・ブロイ波の量子干渉効果という基礎物理学的な興味に加え、この量子干渉効果を用いることにより分子構造(核間距離) を1 フェムト秒オーダーの極限的短時間精度で決定できることから当該分野で大変注目された。

最近Morishita らは、時間依存Schrodinger 方程式を数値的に解くことによって得られる正確な再衝突電子波束を用いることにより、高次高調波スペクトルから原子や分子の構造に関する情報を抽出できる可能性を指摘した(T. Morishita et al., Phys. Rev.Lett. 100, 013903 (2008))。すなわち、高調波スペクトルS(ω) を運動エネルギーの関数である再衝突電子波束W(E) とイオン化の逆過程である光放射再結合断面積σ(ω) を用いてS(ω) = W(E)σ(ω) のように表すことができ、高調波スペクトルS(ω) を実験で観測し、数値計算から求められた正確な再衝突電子波束W(E) を用いることにより原子や分子の構造を反映した再結合断面積σ(ω) を評価できると期待される。ここで注意すべきことは、電子波束が再衝突して(特にカットオフに近い) 高調波を発生するときは、レーザー電場強度がほぼゼロになっており、外部電場がないときの再衝突断面積σ(ω) を評価できることである。このアプローチに従って、本研究室では電気通信大学量子・物質工学科の梅垣俊仁博士、森下亨博士、渡辺信一博士、および、カンザス州立大学物理学科のAnh-Thu Le 博士との共同研究において、希ガス原子Ar、Kr、Xe 中からの高次高調波スペクトルを観測し、正確な再衝突電子波束W(E) を用いて再結合断面積σ(ω) を評価するとともに、理論計算から求められたσ(ω) と比較することによりその妥当性を検証した(S. Minemoto et al., Phys. Rev.A 78, 061402(R) (2008))。上記の考え方をさらに発展させることにより、原子分子に関するいわゆる「完全実験」の目的である全ての双極子行列要素の振幅と位相を決めることも可能になると期待される。直線分子については、配列した分子から発生する高次高調波の偏光特性を調べることにより、必要な情報を得ることができると考えられる。

特に、分子から発生する高次高調波の楕円率依存性は、最外殻軌道の形状や対称性の影響を強く受けることが知られている(T. Kanai et al., Phys. Rev.Lett. 98, 053002 (2007))。しかし、これまで高次高調波スペクトルの楕円率依存性を系統的に調べた例はない。分子軌道に関する詳細な情報を得るためには、多くの次数について系統的に調べることが重要である。そこで本研究室では、配列したN2、O2、CO2 分子について高次高調波の楕円率依存性をイオン化ポテンシャル近傍の9 次高調波からカットオフ近傍まで系統的に観測した。

分子を配列させるため、Ti:sapphire レーザーパルス(中心波長 ~800 nm、パルス幅 ~50 fs) の一部をポンプ光として試料分子に照射し、一定の遅延時間後、分子が配列した状態でプローブ光を照射して高次高調波を発生させた。ここで、λ/2 波長板とλ/4波長板の組み合わせによりプローブ光の楕円率を制御した。また、λ/2 波長板によりポンプ光の偏光方向を変え、配列した分子の分子軸と楕円偏光したプローブ光の長軸が平行または垂直になるようにした。発生した高次高調波スペクトルは、斜入射型真空紫外分光器と電子増倍管により観測した。

高次高調波の強度は、基本波の楕円率が大きくなるにしたがって、一般に単調に減少する。これは、高次高調波の発生メカニズムを説明する3 ステップモデルに基づいて考えると、楕円率を大きくするほどレーザー電場中で電子波束の重心が横方向にずれ、再衝突する際に親イオンとの重なりが小さくなるためである。また、楕円率が同じであれば、高次の高調波ほどレーザー電場中で駆動される電子波束の重心のずれが大きくなるため、一般に楕円率依存性がより急激になる傾向がある。実際、希ガス(Kr) やN2 分子(最高被占軌道HOMO の対称性がσg) を試料として測定すると、次数が高くなるにつれて楕円率依存性が急になる様子が観測された。また、N2 分子では、分子軸と楕円偏光した基本波の長軸が平行な時の方が、垂直な時よりも楕円率依存性がより急であった。これは、窒素分子のHOMO の形状を反映した結果であると考えられる。

それに対し、HOMO の対称性がπg であるO2 分子やCO2 分子では、3 ステップモデルから直感的には予測できない楕円率依存性が観測された。まず、プラトー領域の高調波について、配列したCO2 分子の方向と楕円偏光したプローブ光の長軸方向が平行な時(平行配置) と垂直な時(垂直配置) で楕円率依存性を詳細に調べた。2007 年のPRL 論文(T. Kanaiet al., Phys. Rev. Lett. 98, 053002 (2007)) では、3 ステップモデルから予測される直感的な関係(垂直配置の方が平行配置よりも楕円率の増大に伴う高調波強度の減少が緩やかになる) が観測されたが、分子試料を配列するためのポンプ光とプローブ光の強度の組み合わせとして計6 つの場合について調べたところ、強度の組み合わせにより、直感的な関係と逆の関係になることを初めて見出した。これは気体分子の配列状態や量子干渉効果が複雑に関与している結果と考えられる。一方、イオン化限界近傍の高調波では、3 ステップモデルからの予想に反して直線偏光の時よりも楕円偏光の時に高調波強度が増大する現象が最近報告された(H. Soifer et al., Phys. Rev.Lett. 105, 143904 (2010)) が、本研究室ではこの現象がプローブ光の強度に敏感であることを初めて見出した。これは、上記の現象にイオン化ポテンシャルや励起状態のダイナミックAC Stark シフトが関与していることを強く示唆するものである。

 

3.硫化カルボニル分子のトンネルイオン化における配向依存性

フェムト秒高強度レーザーパルスの照射による原子・分子のトンネルイオン化は、超短パルス高強度レーザー電場と原子・分子の相互作用における基礎過程であるとともに、近年「再衝突物理(recollisionphysics)」として注目されているトンネルイオン化した電子が高強度レーザー電場中で高い運動エネルギーを得て親イオンに再衝突する際に発現する高次高調波発生、非段階的2 重イオン化、高エネルギー電子の発生などの興味深い物理現象の第1 ステップであることからその詳細な理解は極めて重要である。原子に対するトンネルイオン化確率は、Ammosov-Delone-Krainov (ADK) モデル(M. V. Ammosov etal., Zh. Eksp. Teor. Fiz. 91, 2008 (1986) [Sov.Phys. JETP 64, 1191 (1986)]) が成功を収めており、代表的な2 原子分子については、分子軌道の対称性と漸近的な振る舞いを考慮してADK モデルを拡張したMO-ADK モデル(X. M. Tong et al., Phys.Rev. A 66, 033402 (2002)) によりトンネルイオン化の配向依存性を予言することができる。しかし、3原子分子以上の大きな分子のトンネルイオン化の配向依存性を予言できる理論は確立されていない。

本研究室では、先に気体分子と超短パルス高強度レーザー電場との相互作用で発現する様々な物理現象の探究を目的として電子・イオン多重同時計測運動量画像分光装置を開発した。今年度は、この装置を用い、OCS 分子の多チャンネル解離性イオン化過程の配向依存性を明らかにした。3 原子分子であるOCS 分子の場合、同じ1 価のイオンでもOCS+→ S++CO (I)、CO++S (II)、CS++O (III)、及びO++CS (IV) の様に様々な解離の仕方をする。今回、光電子とイオンのコインシデンス測定を行うことにより、上記の解離チャネルを区別しつつトンネルイオン化の配向依存性を明らかにすることに初めて成功した。具体的には、チャンネル(I)、(II)、及び(III)は、高強度レーザー電場がS 原子側を向いているとき(トンネルイオン化の描像に従えばO原子側から) イオン化しやすく、チャンネル(IV) は高強度レーザー電場がO 原子側を向いているとき(トンネルイオン化の描像に従えばS 原子側から) イオン化しやすいことを見出した。また、このトンネルイオン化の配向依存性の度合いがレーザー強度に依存することも見出した。これらの発見は、非対称極性分子のトンネルイオン化の配向依存性を予言する理論モデルの構築に資する極めて重要な知見である。

 

4.フェムト秒X線自由電子レーザーパルスを用いた配列した分子中からの光電子回折像の観測

近年、高強度電子線源と加速器関連技術の進歩を背景としてX 線自由電子レーザーの開発とその応用研究が世界的に注目されている。日本では、理化学研究所のX 線自由電子レーザー施設SACLA (SPring-8 Angstrom Compact Free Electron Laser) が2011年6 月7 日16 時10 分に1.2 A のX 線レーザーの発振に成功し、現在ではX 線レーザーパルスを利用した様々な応用研究に供されている。本研究室では、高エネルギー加速器研究機構の柳下明教授らのグループと協力してフェムト秒X 線自由電子レーザーパルスを用いた配列した分子中からの光電子回折像の観測に基づく「超高速光電子回折法」の開発を進めている。この手法は、X 線自由電子レーザーパルスの照射により分子を構成する原子の内殻から生成された光電子の波と、その一部が同一分子内の近傍の原子で散乱した波の干渉効果を光電子回折像として観測し、理論モデルとの比較により核間距離や3 原子分子の場合には屈曲角をも決定するものである(M.Kazama et al., Phys. Rev. A 87, 063417 (2013))。特に気体分子の構造決定を目的とする場合には、本研究室が世界をリードする気体分子の配列・配向制御技術が不可欠となる。

本年度、ナノ秒Nd:YAG レーザーの基本波パルスで配列したI2 分子を試料とし、光子エネルギー4.7keV のX 線自由電子レーザーパルスの照射により生成される運動エネルギー~140 eV をもつI 2p 光電子の回折像を観測した。配列した分子試料を用いて観測された光電子の回折像とランダム配向した分子試料を用いて観測されたそれとの間には光電子の角度分布に明瞭な違いが確認できた。また、配列した分子試料を用いて観測された光電子の回折像を、分子の角度分布を考慮に入れた理論計算により再現することに成功した。このことは、上記の「超高速光電子回折法」の原理実証に成功したことを意味する。現状では、マシンタイムの制約から分子試料の配列度の最適化が不十分なため、光電子の干渉縞の観測には至っておらず、分子構造の決定精度には限りがあるが、今後分子試料の配列度を高め、ポンプ-プローブ法の導入により分子の構造変化の超高速ダイナミクスを明らかにするなど「超高速光電子回折法」の確立を目指す予定である。本研究は、高エネルギー加速器研究機構の柳下明教授を始めとし、中嶋享氏(高エネルギー加速器研究機構、平成27 年4 月より高輝度光科学研究センター)、寺本高啓氏(立命館大学)、赤木浩氏(日本原子力研究開発機構)、藤川高志氏(千葉大学)、間嶋拓也氏(京都大学)、小川奏氏(理化学研究所)、富樫格氏(高輝度光科学研究センター)、登野健介氏(高輝度光科学研究センター)、水流翔太氏(千葉大学)、和田健氏(高エネルギー加速器研究機構)、矢橋牧名氏(理化学研究所) との共同研究である。

 

5.配列した分子中から発生する第三高調波の偏光特性の時間発展の評価

近年の超短パルスレーザー技術の進歩により、Ti:sapphire レーザー増幅システムからの出力である中心波長800 nm の近赤外領域での時間依存偏光パルスの発生と制御技術は本研究室でも既に開発済みであるが、紫外領域の時間依存偏光パルスの発生と制御技術は未開拓の課題である。配列した分子中から発生する第三高調波の偏光状態を時間分解して調べることは、配列した分子中からの第三高調波の発生メカニズムのより詳細な理解に繋がるであろうし、偏光状態の時間分解が一層困難な高次高調波の偏光状態を推察するための手掛かりが得られる可能性もある。また、レーザー電場のベクトルとしての性質を最大限生かすことのできる時間依存偏光パルスの発生と制御手法の波長域の拡大は工学的にも意義深い。そこで、一昨年度より配列した分子中から発生した第三高調波の時間依存偏光特性を評価するため、偏光分解干渉法の開発を進めている。この測定により、分子種に固有の分極率や超分極率、さらに分子座標系におけるそれらの空間的な成分を評価できると期待される。

その目的のため、これまでに、時間に依存する偏光を測定することができる干渉計を開発し、光学部品の固定法や干渉計の配置を改良することによって、最終的に紫外領域の超短パルスに対しても位相差でπ/20 以下、楕円偏光の楕円率で0.1 以下の精度で評価できる安定性を達成できた。開発した干渉計を使用し、配列した二酸化炭素分子から発生する第三高調波の偏光状態を観測したところ、位相整合の効果を反映して媒質の圧力によって偏光状態が大きく変化することを明らかにした。

一方、配列した分子中から発生する第三高調波の発生メカニズムの詳細を解明し、強度や偏光状態を制御するためには圧力依存性を系統的に調べる必要がある。そこで、本年度は、試料セルと排気系を更新して圧力を精密・簡便・安定的に変えられるように改良した。同時に、連続的な観測を行えるようにデータ取得プログラムを最適化した。このシステムを用いて圧力依存性を調べたところ、第三高調波の楕円率は圧力とともに単調に増加するわけではなく、3 ないし4 段階ほどの異なる過程に分かれて変化することが分かった。圧力の絶対値に違いはあるが、同様な傾向は窒素分子や酸素分子でも見られ、配列した気体を媒質とした時の第三高調波発生における一般的な現象であることを示唆している。同様な現象はより高次の高調波についても起こりうると考えられ、媒質中における発生・伝播を含めて統一的に理解するためのシミュレーションコードを開発中である。

 

6.その他

ここで報告した研究成果は、研究室のメンバー全員と学部4 年生の特別実験で本研究室に配属された飯田耀君、室谷悠太君(夏学期)、及び、夏沛宇君、長野晃士君(冬学期) の活躍によるものである。本年度は、活発な研究活動の結果、加藤康作君が、平成26 年度日本分光学会年次講演会若手ポスター賞(共同研究者: 峰本紳一郎、酒見悠介、酒井広文) を受賞し、中川桂君が、平成26 年度理学系研究科研究奨励賞(修士課程) を受賞した。おめでとう。理学系研究科研究奨励賞(修士課程) は本研究室では碁盤晃久君(平成20 年度)、加藤康作君(平成22 年度) に続き、3 人目の受賞となる。また、加藤康作君、酒見悠介君、文提會君の3 名が博士(理学) の学位を取得し、中川桂君が修士(理学) の学位を取得した。

なお、今年度の研究活動のうち項目1-3 は、科学研究費補助金の基盤研究(A)「配向した分子中から発生する高次高調波の物理過程の解明」(課題番号26247065、研究代表者: 酒井広文) に加え、文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」、及び、「最先端研究基盤事業コヒーレント光科学研究基盤の整備」からの支援も受けて行われた。また項目5 は、主として科学研究費補助金の基盤研究(C)「配列した分子試料を用いた紫外パルス光源の高能化」(課題番号24560041、研究代表者: 峰本紳一郎) の支援を受けて行われた。ここに記して謝意を表する。